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大阪高等裁判所 昭和45年(う)997号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人俵正市及び同重宗次郎共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点、事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

論旨は、原判決は、(一)判示第一事実において、被告人が前方左右に対する注視義務を怠る等して、漫然時速約五五粁で車両を進行させた過失があつた旨認定しているが、被告人は、当時前方左右に対する注視義務等を十分履行し、かつ時速約四〇粁で進行していたところ、被害者が横断歩道外の進路前方に突然飛び出してきた一方的過失により本件事故の発生を見るに至つたものであるから、これについて被告人には何らの過失もない。また(二)判示第二事実において、被告人は正常な運転ができないおそれがある状態にあつた旨認定しているが、被告人はいわゆる酒に強い体質であつて、本件程度の飲酒量では、正常な運転ができないおそれのある状態ではなかつた。従つて、以上の諸点において原判決は事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つた違法があるというのである。

よつて、先ず所論(一)について記録を調査するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第一事実は被告人の業務上過失の点をも含めて総てこれを認めるに十分である。すなわち、

(一)  被告人は、原判示日時ごろ普通貨物自動車を運転し、東から西へ時速五五粁位で道路左側部分をセンターライン寄りに進行し横断歩道の設置されている原判示付近道路にさしかかつたこと、

(二)  右横断歩道には信号機は設置されていないが、その付近には灯火付横断歩道標識が設置されているなど周囲はかなり明るいうえに、右道路は歩車道の区分のある車道幅員一二米(その両側には幅員各三米の歩道がある。)のアスフアルトで舗装された直線・平坦な道路で何ら障害となる物なく、見とおしは極めて良好であること、

(三)  ところが、被告人は、偶々当時小雨が降つていたためワイパーを使用し前照灯を下向けにしていたため、前方左右に対する見とおしは事実上やや困難な状況にあつたが、付近には先行車・対向車共になく、かつ人通りも殆んどなかつたので、右横断歩道あるいはその付近を横断する者のあることを全然考慮せず、少しも減速・徐行などすることなく、そのままの速度で同所を通過しようとしたところ、折柄進路の右横断歩道西側外付近を右手を挙げながら北から南へ向かつて小走りに横断中の岩本旭(当時四〇歳)を自車の直前に接近するまで発見せず、発見後何らの措置を講ずる暇なく自車前面左側部分を同人に衝突させて、二十数米西方に移動転倒させ、原判示重傷を負わせて死亡させたこと、

(四)  被告人の自動車は、右衝突場所から約五〇米西進して停車したが、この事故により、フロントウインドガラスが全面的に破損し、その枠の左側ドアーとの接触部が凹損し、被害者のものと認められる毛髪数本が付着していたこと、

の各事実を認めることができ、この認定に牴触する被告人の原審供述、司法警察員山路勇に対する供述調書及び司法警察員作成の実況見分調書(ただし二通のうち被告人立会の分)中、被告人の説明部分の各記載は、被告人の検察官及び司法警察員白川善一に対する各供述調書、司法警察員作成の各実況見分調書(被告人立会の分については被告人の車の速度に関する説明部分、宮本典緝立会の分については前示(四)に認定した事実に関する部分)、宮本典緝の司法警察員に対する供述調書の各記載に対比したやすく措信できず、その余の牴触する部分もまた原審証人井上啓二の供述、宮本典緝の右警察官調書及び被告人の検察官調書の各記載に照らし合わせると容易に信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、本件のようにワイパーを使用し、かつ前照灯を下向けにしているため前方左右に対する見とおしが不良の場合には、自動車運転者としては急停車あるいは避譲することにより事故の発生を末然に防止できる程度に減速徐行し、かつ前方左右に対する注視を厳にし、もつて交通の安全を確認しながら進行しなければならない業務上の注意義務があることは当然の事理である。

しかるに、右に認定した事実に徴すると、被告人は当時右注意義務を怠り、漫然法定の最高速度五〇粁を超える前示速度のまま横断歩道を通過しようとしたため、その西側外付近を横断していた被害者に自車を衝突させ本件人身事故を惹き起こしたのであるから、これにつき過失の責任があるものと云わざるを得ず、被害者の一方的過失に因るものとは到底認められないから、右と同趣旨の認定をした原判決には所論(一)のような事実誤認及び法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

次に所論(二)について記録を調査するに、原判決挙示の関係証拠によると、原判示第二事実もこれを認めるに十分である。すなわち、被告人は、当日午後五時頃ビールをコツプに三杯位、次いで午後八時頃から一一時頃までの間にビール大瓶一本余り及び清酒一合三勺位を飲み、その酒気を身体に保有していることを認識しながら前示のとおり自動車を運転して本件人身事故を惹き起こしたものであり、そして、右事故の約四五分後警察官の取調を受けた際、言語は大声、歩行はふらつき、直立すると左右にゆれ、酒臭強く、顔色赤く、目は充血している等の状態を呈し、一見して飲酒運転であることが看取されたため、酒酔いの化学判定が実施された結果、呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有していることが鑑識されたことが認められ、この認定を左右する証拠はない。ところで昭和四五年法律第八六号による改正前の道路交通法第六五条、第一一七条の二第一号にいう「酒酔い」すなわち、アルコールの影響により車両等の正常な運転ができないおそれのある状態とは、酩酊の程度が客観的評価においてそのように認められれば足り、必ずしも被告人自身がこれを認識するの要はないものと解するところ、本件においては被告人の外観的所見、アルコールの身体保有量、さらに前示認定の(三)の事実を考え合わせると、被告人は当時酒酔いのため、正常な運転ができないおそれがある状態で自動車を運転していたものと優に認めることができる。してみると、これと同趣旨の認定をした原判決は相当であつて、所論のような事実誤認及び法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点、量刑不当の主張について

論旨は、原判決の量刑(禁錮八月)は重きに失し不当であるから、刑の執行を猶予されたいというのである。

よつて所論にかんがみ記録を精査するに、本件事犯に至る経緯、事故の態様、結果の重大さ、事犯後の状況、殊に本件は、被告人が前示自動車を時速五五粁で酩酊運転し、かつ前方左右に対する注視不十分のまま進行した一方的過失により、横断歩道付近を手を挙げながら横断中の被害者に自車を激突させ、二十数米も前方にはね飛ばして死亡させたものであつて、犯情まことに軽からざるものがあり、その責任は重大であると云わざるを得ないうえに、原審当時被害者の遺族と示談も成立していなかつたこと等に徴すると、被告人には前科がないこと、原審当時葬儀料として二〇万円を被害者の遺族に支払い、強制保険金三〇〇万円もその頃支払われていると認められること、被告人の家庭事情等、証拠上認められる被告人に利益な諸点を総て斟酌しても、原判決当時を基準とする限り右量刑は決して不当に重過ぎるものとは考えられない。しかしながら、当審における事実調の結果によつて認められる原判決後における被告人側の弁償に関する誠意により右遺族と裁判上の和解が成立し、既にその一部が支払われ、残額も逐次履行することが期待されること等、原判決後の情状を彼此考慮すると、固より刑の執行を猶予すべきものとは考えられないが、現在においては原判決の刑をそのまま維持することは相当でないと考える。結局この点において論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三九七条第二項、第三九三条第二項により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但し書に従いさらに次のとおり自判する。

原判決が確定した事実に原判決挙示の各法条(ただし原判示第二事実については、昭和四五年法律第八六号道路交通法の一部を改正する法律附則六項により、改正前の同法規定を適用)を適用し主文二、三項のとおり判決する。

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